自分もやっているかもしれない呪いの話



呪いって書くと一気に怪しくなりますが笑、それは日常に当たり前にあって、気をつけないと意識せず自分が相手にやってしまっていることかもしれないと感じる出来事がありました。

今日会えたのは運命だ。君のために言う。この教えだけが真実だ。一緒にやろう

先日、久しぶりにあった友人からそんな入信のお誘いを受けました。久しぶりに会うから楽しみ!という気持ちで会いに行ったのに、突然そんな一方的な話をされたもんだからとても不快な気分に。だから当然の否定。

それに対する答えが「入信しないと罰があたる」 というものでした。

私が納得できなかった3点

友人は本気で信仰していて、一所懸命であることはとても理解できました。信仰は悪いものじゃないし、海外では信仰を持たない人の方が少ない。だからその話をされることは全然イヤじゃない。でも次の3つのことだけはどうしても納得できなかったので、かなり強い言葉で反論しました。

1.事前に伝えず突然入信を持ち出したこと

友人と会うのは10年ぶりくらい。事前のやりとりは近況を伝え合って「久々に会おうよー」っていうだけのもの。だからこちらはワクワクして会いにいった。なのに出た話が一方的な入信の誘い。それは今話すことか?本気で伝えたいなら事前にその話をさせてほしいと言え。そうしないと伝わるものも伝わらないでしょうと。

2.相手のことを考えない「YES」か「NO」かの一方的な2択

「これだけが真実だから何を言われても仕方が無い」と、私がどんな反論をしても友人は一切ぶれませんでした。それはすばらしいことだと思う。でも私にとってその真実は今聞いた情報でしかない。それだけで入信するかしないかの2択を迫ることはありえない。それはつまり、入信しなければ友達をやめなければいけないということに繋がる。なんなんだそれはと。

3.「入信しないと罰があたる」

そして私が一番許せなかったのがこの言葉でした。だから私も強い言葉で否定しました。この言葉は「呪いだ」と。友人が冗談で言ってるのなら笑って終われます。でも友人は本気で言っている。「罰」や「不幸」といったネガティブな言葉は、言われただけで心にひっかかるもの。それが真剣であればあるほど。

もし友人と別れたあと、依頼してた仕事にNGのメールが届いていたらどうか。何かにつまずいて転んでしまったらどうか。その事実をその友人が知ったらどうなるか。

関口君。今のが俗に言う呪いだ。

京極夏彦の「姑獲鳥の夏」にでてくる京極堂のセリフが頭に浮かびました。

強い言葉は人の心を支配する

その友人とは結局2時間くらい話して、罰とは何かを理解し(悪いことが起こるのではなく本質に辿りつけないこと)、伝えたいことの本質はこれだよね!という点を理解し、でもそれ以外の恐怖を煽るような言葉は全部一切必要ないことを伝え、個人的にはスッキリしました。ただこの友人から連絡がくることはもうないかもしれません。

と、いろいろ書いてしまいました。なんとなく吐き出しておきたかったので。でもここで伝えたかったことはそんな愚痴っぽいことではなくて、最初に書いたとおり、「意識せず自分が相手に呪いをかけてしまっていることがあるかもしれない」という点です。

ここに書いた友人は自分の言葉が呪いだなんて一切思ってません。でも受け取った人の心にそれが強く刻み込まれたら、それは一生つきまとう不安な言葉になってしまう。最悪の場合、その言葉で命を落とすことだってありえる。学校や職場での「言葉のイジメ」がその最たるものかもしれません。

口は災いのもと。たまには毒を吐くことも必要かもしれませんが、できるだけポジティブな言葉と一緒に生きていきたいもんですね。

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