人は老いるとなぜ自然の近くで暮らしたくなるのか

セカンドライフ、定年退職したら田舎でのんびり暮らしたい。年を重ねると自然の近くで暮らしたいという希望を持つ人が多くなると感じます。人で溢れた都会よりも、人が少なく自然豊かな田舎の方が心地よく暮らせそうだ。旅行でいった温泉旅館のような。そんなイメージから来ていると思います。

でも人が少なく自然が多い田舎の現実としては、歳をとったら街に移り住む人が多い。病院や家族の近くへという理由からです。何かあった時田舎は困る。だから何かあっても対処できる街がいい、という話です。

これが田舎に住むつフツーの大人の感覚です。でも一方で、この田舎の大人の感覚はとても都会的なものだと感じます。もっと踏み込むと、死に対する考え方が都会的なのだと感じます。

都会的な人の死

当たり前のことですが、私も死ぬのが恐いです。20代を終え、30代に入り、40代を迎える世代。残された時間が少なくなり、だんだんと人から必要とされなくなってくる。なぜ私なのか。まだまだやりたいことがある。やるべきことがある。消えてしまうのが恐い。死を考えるだけで死にそうな気分になります笑

でもこの恐怖こそが、都会的な人の死なのだと感じたりもします。

生物としての人の死

私は今、田舎に住んでいます。周りを見れば山、山、山。そんな山を見ていると自分の存在の小ささを実感するものです。たとえ何をやっても、何を成し遂げたとしても、自然の中にはヒーローなんて存在せず、ただ1種の生物がいるに過ぎない、というような感覚です。

そんな山々には鳥や虫が飛びかって自由を謳歌し、ふとしったきっかけであっけなく死んで、その亡骸は別の生き物に食べられて分解されます。そんな自然の近く、つまり田舎に住むことで、人の死が生物としての死と感じられるようになっていくのかもしれません。

人は老いるとなぜ自然の近くで暮らしたくなるのか

それは人もまた生物として、死を身近なものにするための本能的な行動なのかもしれません。自然の側で自然の一部として生きることができるようになれば、死が恐いものではなく当たり前のものになるのかもしれません。

そんなことを考えつつもやっぱり人ですから、まだまだ人の主戦場である街の感覚で死を見つめてしまう私なのでした。

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